スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | | スポンサー広告

ひとり、やねのした

表紙題字


2008年冬コミにて頒布された残0抱え落ち合同誌「泡沫異聞」の原稿になります。
作は私、絵はたくずぃーさんに担当していただきました。
公開許可はあれど、公開するのを忘れておりました次第。
30KBほどありますので、追記にて公開。


 
 また、誰か来た。
 気配はひいふうみい……、匂いも同じ、足音だって同じ数。
 今日はお客さんかな? それとも悪戯だけの冷やかしかな?
 お客様ならもてなして、気持ちよく帰ってもらおう。悪戯なら、ここにずっと住んでもらおう。
 さて、どっちかな?
 

 とある山間部にある、地元の人も入らぬ山深くの廃村。人の気配どころか、そこには動物の気配もない。連日雪が降り、寂れた家屋の群れは影を増している。さらに危険であるはずなのに今は幾つかの人影があった。
「迷ったりはしてないわよね?」
「大丈夫よ。一本道の上に、山奥といっても見通しがいいからね」
「どうでもいいからさっさと終わらせて、酒呑もうぜ酒」
 旅行中の面々は、開けた村の広場にいた。この人間たちは言わば、オカルト好きの暇人集団である。暇を見ては集まって、各所のスポット巡りを行っている。メジャーからマイナーまで、場所も何も条件は一切問わない。
 もちろん闇雲にではなく、近くの住人に事前に聞き込みを行い、宿も確保した。ただの道楽であっても、彼らは全力でそれに打ち込むのが彼らのポリシーである。そうすることで、予測不可能な出来事も目一杯楽しめると彼らは経験的に理解していた。
 その結果、宿の料理も温泉も最良のものであったし、オカルトスポットの下調べも完璧だ。雪中行軍のために防寒具はもとより、着替えや暖をとるための器具も非常食も準備した。さらに異変を記録するためのメディアもいくつか。
「そこ左ね。大体百メートルくらいで開けたところに出て、そこにあるのが例の廃屋らしいわ」
 ナビゲーターは女性二人。空がとっくに闇に染まり始めている今、正確に位置をできないと大変厳しい。集団を崩さず、ほぼ一本道であっても途中の木などに目印を設置している。念には念を。
「見えた、あれかしら?」
「きっとそうね」
「やっとかよ……もう疲れた」
「うっさい、これからでしょ」
 月はようやっと顔を出した。しかし、その光は森の木に遮られて道を照らすに至らない。さすがに真っ暗な山道を灯り無しで歩けるほど、面々は人間離れしていなかった。視力は人並みであり、ついでに夜になれば視界は当然真っ黒。懐中電灯付きヘルメットを取り出して、頭に装着。ランタンにも火を灯した。
「これだと探検って気分になるわね♪」
「わからなくもないけど、ちゃんと前を照らして危ないから」
 それから暫くは、変哲もない山道が続いた。動物の気配はしない。全員の感情が高ぶっているためか、それとも冬の夜であるからか。彼らは、それに気付かない。
 
 
 なんだ、やっぱり客人じゃなかったのか
 里の子でもないようだし、どこかから噂を聞いてやってきたお転婆ってところかな?
 そんなことはどうでもいいか
 冷やかしならば、早々にお帰り願おう
 いただきます


「……ここかしら」
「ここね、間違いない」
 森の中に、ぽっかりと穴が開いた。単に木が疎らに生えているというわけではなく、そこだけスプーンか何かで抉ったかのように木が生えていないのだ。恐らく上空から見れば、綺麗な円形が拝めることだろう。
 そしてその中心には、小さな廃墟がある。相当古い茅葺屋根。それには茶色に枯れ果てた蔦が幾重にもからみついて、永らく人の営みから離れて朽ちていったことが感じられる。そして、なぜか倒壊した家の前には石が積まれていた。宵より深い闇と光よりも白い雪に彩られたソレは、全く異世界のものに見えた。
 しかし、目標の廃屋が見えたにもかかわらず彼らは行動を起こさない。
「最初に行っていいわよ」
「その権利は譲ってあげるわ」
「レディーファースト、だろ?」
「うっさいわね」
 雑談もそこそこに、広場に足を踏み入れた。柔らかい雪が踏まれて立てる音がする。何も、本当に何もいない広場に他の音はない。息遣いも、鼓動も、気配も何もかも。彼らのほかにはいない。そのはずなのに。
「……ここ何かおかしいわ」
「それはわかってるけど、何がおかしいのよ?」
「何を言っているの?」
「……何か見える?」
「いんや、何も」
「何もいないのに、見られているような……」
 来た道が無くなったわけでも、広場も家も何も変わらない。何も変わらないからこそ、異常であることが際立つ。
「やっぱり、今日はやめて明日の朝にしない?」
「……うん、じゃあ写真だけ撮って帰りましょうか」
「何だよつまんねぇ」
 インスタントカメラを構えて、シャッターを切る。強力なフラッシュが辺りを照らして、雪とは別に辺りを白に染めた。フラッシュで目がくらんだ面々は、一拍置いて顔を見合わせる。
「……さ、早く戻りましょ」
「そうね、暖かい温泉とご飯が待っているわ」
「そうだな、やっぱりそのほうがいい」
 暢気な台詞とは裏腹に、全員が駆け出していた。フラッシュを焚いたことでより濃くなった影。そこに、得体が知れない者が見ているような気がしたのだ。


 追いかけっこはつまらない。眠くなるほどのトロさで逃げるエサを追うことは、早寝早起きよりも容易い。そして私には獲物で遊ぶ趣味はない。
 夜は始まったばかりだけど、寝起きの運動には丁度よかった。いつもと比べれば早い食事ではあった。しかし、如何せん肉が痩せっぽちだったから味は今一。もっと良い物食え。
 まぁ、人食をやりすぎるのもいけない。来た者来た者全部食べていたら、そのうち陰陽師か退魔師あたりが来ることだろう。それは面白くない。勝てないこともないが、この家には居られなくなるだろう。それが一番面白くない。
 そんなわけで、細々と食べて行くことが一番。夜盗とか空き巣を食うのが、最も面倒がない。もちろん客として来るならば、食べたりなんかしない。この家を荒らす意図がなければ、泊まりたければ泊まればいい。礼儀正しく扱うならば、帰りに土産の一個でもくれてやる。
 ……しかし、やることもない。やっぱりさっきの人間、もっと味わって食べておけばよかったかな。今や季節は冬であり、獲物も食料もあまり多くはない。一応の保存食なんかはあるが、今年の仕込みは上手くいかなかった。やっぱり見様見真似では不味いものしかできない。
 ま、こんなに冷え込んでいるなら寝るに限る。どうせこんな夜にはもう誰も来やしないさ。昼夜逆転の妖怪も多いけど、誰も彼もがそうというわけじゃない。夜のほうが活動しやすいっていうだけの話だ。
 おやすみ。
 
 ……とは言ったものの、すぐには寝られない。ただ暇を持て余して寝転んでいるだけだ。やることもない。家の掃除は昼にしたし、狩りはさっき終わった。家人なんかもうずっといないから、世話する相手もいない。何より腹がパンパンだから、動きたくもない。里からも遠いから全く物音もしやしない。暇だなぁ。こういった時に一人というのは不便だと思う。せめて話し相手がいれば、罵りあいだろうが言い合いだろうが暇は潰せる。こう一人では、食うか寝るしかないではないか。
 こうも暇だと、私は家人が居た頃のことを思い出す。というか、そんなことでしか暇を潰すことがないのだ。もう何百年前か数えてなんかいない。元々がこんな小さな家だから、当然家人も裕福ではなかった。父親は酒好きであったが凡そ真面目であり、食うには困らない程度には稼いでいた。母親はよく家を守り、子を育てた。他の家がどうだか知らないが、代々そんな感じだ。
 特徴があった代もなし。私たちに気付いた代もなし。見てても退屈であったにせよ、不思議と飽きないものだったと思う。心地よい喧しさとでも言おうか。よくわからないけれど、私が憑いた家はそんなものだった。
「私の数百年も、まぁこんな程度か」
自嘲でもないが、勝手に顔が苦笑いの表情を作る。誰に向けたものでもないとすれば、やっぱり自嘲になるのだろうか。我ながらよくわからない。聞く相手、話す相手ともに居ない。自分の中に答えがなければ、疑問は捨て置くほかない。思い出すことがなければ永遠に何処かへいってしまうような、綿毛のような考え。ああ、春が待ち遠しい。早く雪が融けて、春告精が来ないものか。

もうこの家も古い。ところどころに歪みがあり、その至る所から隙間風が入り込む。獣の私にとっては耐えられないものではないが、それでも寒いものは寒い。ボロの毛布一枚では、今年の冬はちと厳しい。
そのくらいの寒さになれば、身体がで痺れていく代わりに感覚が鋭くなる。どんな小さな音だって聞き分けられるし、縄張りの中――家から一里程度――なら何が来ても知覚することができるはず。冬の夜の静寂だからこそ可能なものだけど。
そんな少しだけ鋭敏になった私の耳に、足音が聞こえた。私は毛布を跳ね除けて梁の上に身を潜める。屋根の萱にもところどころ隙間があり、そこからはほんの少しだけ外が覗ける。当然倒壊しない程度の小さい穴だけ。ま、覗くのが目的じゃなくて、ばれない場所で外の様子を探るための穴。また人間の悪戯であれば返り討ち、客であればこのまま身を潜める。妖怪だったら……どうしようか。
私たち妖怪には、正確な意味での同属同種というのは少ない。鬼・獣・他のよくわからない奴ら。獣の私はともかく、よくわからない奴らだって縄張りというものは持っている。簡単に自分の縄張りから出ようとはしないし、他の縄張りに入ることもほとんどない。私に限らず、他者の領域に入れば争いは必ず起こるからだ。
しかし、人食の妖怪でも、人の生活の匂いを苦手とする者は多い。だから、こんな廃屋を縄張りとしたい妖怪はいないはずだ。私を脅威とする妖怪はこの近辺に居ないだろうし、やはり迷った人間だろうか。足音はこちらへ近付いてくる。もし妖怪だとすれば、躊躇ないその歩みは自信の表れか。
近付いてくる足音に、私は息を潜め続ける。足音を聞く限り、鬼や大柄な男ではないようだ。雪を踏む音が小さいこと、あとは足音の間隔が短いことが根拠。穴から姿は見えないが、相当家の近くには来ているはずだ。
 こちらも覚悟は決めている。私の家を荒らすなら、相応の考えがある。
彼の者が誰であろうとも、容赦などはしてやらない。考えて、私が決意する間にその誰かさんは家の前までやってきた。

「ごめんくださいな」

……予想外に挨拶をされた。もちろん、応えない。元々家人や客人が居ても、私が憑いていることに気付かれたことは無いのだから。
その逆に、私は家の中に誰が居て、何をしているかは見なくても凡そわかる。長いことこの家に居ついていないし、感覚は伊達のものではない。梁から覗き見るに、あいつは女性だ。服は里の女のものではなく、見たこともない紫色のひらひらした服。もちろん、変化ができる妖怪もいるからそれが正体じゃないこともある。だから、私は警戒を解かない。
その誰かさんは、返事を玄関で少しだけ待ってから家に上がりこんだ。ご丁寧に靴を揃えて、持っていた傘を邪魔にならないところに置いている。それから、私が居る居間にやってきて、囲炉裏のそばに腰を下ろす。
動揺も、冷静を装ってる風でもない。里で誰かに聞いて来たクチか。一応「客」であることは間違いないとして、この家を見て何一つ不思議に思っていないのだろうか。ボロい毛布も、新しい薪も、埃もあまりないこの一軒家を。
女は何処から取り出したのか、いつの間にか火種を起こしていた。囲炉裏には薪が組んである。ほとんど灯りも無かった家の中に、朱色の光が灯る。程なくして、女は私が使っていたボロ毛布を被って眠りに着いた。
私は火が苦手だから、ほとんど起こすことはない。そして、梁にいると熱気が上がってきて目が乾く。とても我慢できず、私は床に降りることにした。もちろん、人間に気取られるような馬鹿はしない。必要以上に近付くことなく、私は縁の下まで移動した。唐突ではあるが、今日はここで寝ることにしよう。
 下手な物音を立てて、客人を起こすこともない。半分の警戒と半分の期待を眠気に包んで、私は早めの床についた。土の上の藁は、本当に気休めにしかならないけど、無いよりはマシだ。おやすみ。

∴∵

懐かしい、声を聞いた。

『お前は、私たちなんかよりもよっぽど強い。暫くすれば、この一帯はお前に敵うものなんかいないさ』
『私たちは家と共に生きて、家人が去ればこの家を捨てる』
『お前がどうするかは勝手だ』
『私たちが去った後、お前がこの家を継いでもいい』
『家を捨てようと、咎める者なんかいないさ』
『だがもし、お前が家を継いだ時は――』

∴∵

目が覚めると、寝床に違和感を覚えた。
申し訳程度の藁と枯れ草の寝床は、柔らかくて暖かい何かへと姿を変えていた。嗅いだこともないのに、そこは懐かしい匂いがした。心地良さと睡魔に必死の抵抗を試み、数秒に及ぶ想像を絶する戦いの末にゆっくりと目を開く。
…………金色だった。ややくすんだ色をした毛に、白いもさもさした服。それに顔が埋もれている。若干の息苦しさと、混乱した意識のまま、私は硬直する。何故何故何故なぜナゼ? 目玉が零れる程に見開き、息が止まっているのに鼓動が早くなる。なんとか這い出そうとするも、女の腕ががっちりと私を縛りつける。もがいて抜け出そうとすればするほどに、強く押し付けられる。妖怪の私をこうも容易く拘束するとは、こいつ何者……!
私は無理やりに、抜け出そうと必死にもがく。体裁など気にしていられない。こいつが起きても構うものか。ああっ折れるっ背骨が折れる! ようやく這い出たのは、それから暫く後。ボロ毛布も、そいつの頭も、服もめちゃめちゃにくしゃくしゃだ。それでも目を覚まさない。本当に何なんだろうこいつは。
暫く女の様子を見ても、違和感を感じるどころか目を覚ます気配も無い。性根が太いのかただのバカか、もしくは相当な大物か。……涎を垂らして寝るなんて、バカにしか見えない。しかし、さっき感じた懐かしさ。これだけはわかった。こいつは人間じゃない。人家に住む私も私だが、人に抱かれたことは一度もない。だから、如何に似ていようとも、懐かしいなんて思うことは絶対にない。
「んぅー……」
慌てて、梁に跳びあがった。ついにというか、ようやくお目覚めのようだ。もうそれなりに陽は上っているが、妖怪にしてはどうなんだろう。私は人家に憑いているために、人間とほぼ生活が同じなわけだからよくわからない。女はボロ毛布をまとったまま、雪に埋もれた庭に出た。庭には井戸がある。顔でも洗おうとしてるのだろう。目を覚ますには間違いない方法だ。
私はその間に、梁から移動を試みる。庭からは微かな水音と盛大な悲鳴。おお、冷たかろう冷たかろう。私は少し哀れに思いながら、囲炉裏側へ降りて台所へ向かう。逆の方向から外に出れば、ばれることもない。でもその前に、朝飯くらい用意してやるか。確か肉があったと思う。足早に居間を横切って、台所の引き戸に手をかけた。

途端、首根っこを掴まれた。

息が詰まり、腸が飛び出るかと思った。全く突然で、気配も予感も無かった。まだ庭から水音が聞こえる。あの女ではないなら、ば、一体何が?
息苦しさに耐えながら、爪を突き立てて謎の腕を振り払う。それはさしたる抵抗もなく外れ、ようやっと私は息を吸った。そして、すぐに振り返り臨戦態勢。襲撃者を目に収めようとして――――愕然とした。
幾つもの目玉が蠢く紫色の空間。そこから、細い腕が生えていた。なんというか、とても君が悪くて。だから、
「いたーい!」
場違いな悲鳴と共に現れた女も、とてつもなく不気味なものに見えた。女に片腕は無く、腕がある場所にはその目が蠢いていたから。

……遊びすぎたかしら。
昨日の晩に見つけた面白い獣は、私でも罪悪感を覚えるほどに綺麗に卒倒した。たしか妖獣は、精神が強かったはずだけど。せっかく尻尾が五本もある逸材なのに。大陸の九尾の生き別れ? それとも、自然発生の逸材? 何にしろ、これ以上力があって、可愛らしい娘はいなかったから贅沢言ったらバチが当たるか。あとで色々教育してあげればいいし、あの爺どもにも自慢できるわ。
さすがに地べたに寝てるのはかわいそうね。ずりずり。ぽい。まぁこの狐はともかく、傷が手当てできるものは無いかしら。冗談のつもりだったのに、手がボロボロになっちゃった。薬草くらいあるといいのだけれど。
でもこの子、いくら獣と言っても人型に化けて裸とかいただけない話よね。格好も私と近いし、余ってるものでいいわね。もぞもぞ。
うん、さすが私。よく似合う。まだちゃんと挨拶もしてないし、この子が起きたらしよう。それまで寝ますか。陽も上るし。
……それにしても、野良で家憑きなんて珍しいわ……ぐぅ。

目が覚めたときは、何か変な布を着せられていた。わさわさして、手が足りない。どうしようもなく落ち着かない上に、腕が縛られている。とてもとても、目に見えないほどに細い銀色の糸。それでぐるぐる巻きにされている。鎖や縄ぐらいだったら力ずくで壊してやるのに、食い込むばかりで痛い痛い。
そして、その主犯と思われるやつは、暢気にも陽の光に炙られて眠っている。その間にも、どうにかして糸を切ろうと試みた。爪は届かないし、歯で噛み切ることもできない。柱の角に擦り付けて切ろうとしても、柱の方が削れた。どういうことだ。
そんなわけで、こいつが起きるまで私は大人しく縛られているしかないらしい。当人は外を向いて寝ているために、顔は見えない。……狩りとか行かないといけないのに。そういえば朝何も食べてないなぁ。私はどうにもできず、女の背後を流れる雲と、ゆっくりと上る太陽を眺めていた。
そして、遠吠えする腹の虫の轟音に耐えながら、太陽が南に高く上った頃。
「……んぁ」
女、本日二度目のお目覚め。ちなみに縛られていたのは上体だけで、足は自由だった。私は、何も言わずに女に接近。顔を踏んだ。「ぶぎゅ」なんて変な声がしたが、いい気味だ。さっきはあれほど怖かったのに、今は全然怖くない。必死に足元でもがいているようでも、本当に非力なのか私の足はびくともしない。そのまま捻ってみたりもした。ふと足を握り返す腕を見れば、包帯が巻いてあったりする。やっぱり、あの腕はこの女のものか。じゃあもうちょっと痛めつけて……
「戯れもいい加減にしなさい」
特になにかされた訳ではない、ただの一言。
たったそれだけで、私は殺された気分になる。慌てて飛び退き、裾を踏み、囲炉裏に足を引っ掛けて後頭部をしたたかに打ちつけた。痛みに悶絶しながら、起き上がれば――
 鬼がいた。
顔こそ笑っているものの、なんの説明も必要ない、本物の鬼も怯えるような鬼がいた。さっきの、紫色の目玉と同じ。
「本当は、ここでご挨拶でもしようと思ったのだけれど」
体だけではなく、心まで縛られて。私は近付く鬼女から逃げることはできない。視界がぼやけているのは、ナゼだろう?
「躾が必要ね」
誰か、助けてください。

阿鼻叫喚で、四面楚歌で、地獄絵図なひと時だった。思い出したくも無く、間違いなく心の傷として残っていくことだろう。
「改めまして、八雲紫です」
「……どうも」
うわあ近寄りたくない。笑顔が怖い。調子に乗った私も悪いけど、最初に手を出したのは向こうだ。不条理。
「こっちが名乗ったんだから、貴女も名乗りなさい」
「……名前なんかないもんでね」
  母上様にはなんと呼ばれていたっけ。もう覚えてない。
「ふーん……名前を聞いても平然か」
半目で睨むのは勘弁してほしい。先の騒動でも感じたことだが、この妖怪。とてもじゃないけど私が敵うような、甘い妖怪じゃない。名前も知らないけれど、きっと長く生きた妖怪なのだろう。私が恐れているのは名前ではなく、単に前の妖怪が怖い。
「ところで貴女、ここにはいつから?」
若干がっかりした顔で、紫は言った。
「人間が死んで、母上様が旅立ったのが……何百年か前だから、それから」
「ふーん。面白い飼い子がいるって聞いて来たんだけど、貴女がそうなのかしらね? 兄弟はどこ?」
かいこ? 何のことだろう。糸を作る蚕のことだろうか。兄弟……似たようなのはいたけど、兄弟じゃないし。悩む私を見て、紫は言った。
「違うなら違うでいいのよ、もっといいモノを見つけたんだから」
紫の口が月みたいに歪んで、また悪寒が走る。足が自由なうちに逃げ出して、しばらく身を潜めよう。隙を見て駆け出そうとして、また転んだ。足は縛られていないのに、なんで? 呆然と見れば、あの紫色に足が食われている。引き抜こうとしても、トラバサミのように食い込んで、私の足のほうが千切れそうだ。
「ひぃっ……」
「居るかどうかもわからない飼い子よりも、見込みがあるわ。それにね」
いつの間にか近付いた紫が、私の頭を撫でる。身体は震えて、涙が零れそうなのに何故かくすぐったく感じる。
「半端者よりも、育て甲斐があるわ」
その笑顔は、先の凶しさが嘘のような満月のような笑顔だった。
「最初はお料理から覚えましょうか。あ、なら火を克服しないといけないわね。それから数式の勉強に、家事はそれなりにできそうだからいいか。さぁ忙しくなるわね!」
何を言っているかよくわからないが、これから苦難が待っていることだけはわかった。少なくとも、客人ではなく侵略者だ。家にではなく、私に対してだけど。
久しぶりに、家が賑やかになりそうだ。

∵∴

それから暫く経った夜。紫が突然こんなことを聞いてきた。
「ねえ貴女、兄弟とかはいないの?」
「何だ突然」
「飼い子は、繁殖するのが特徴でね? もし貴女が飼い子の子どもなら、数百匹の子どもがいるはずなのよ」
紫曰く、飼い子とやらは群れで行動するらしい。母上様は、確かばらばらの狐じゃなくて、寄り集まって一匹の大きな狐になっていた。もしかしたら、ばらけたらそんな感じになるのかもしれない。
「私に子どもなんかいないよ」
「でしょうね、ちょっと幼すぎるもの。尻尾五本もあるくせに」
「なんだと」
それはともかく、いい加減私を抱き枕にするのはやめてもらいたい。私で暖をとるのは紫だけで、私は単に暑くて寝られやしないんだ。何より、私よりも紫のほうが子どもっぽいじゃないか……。
「いい加減、私から離れろよう」
「いいじゃない、温いんだから」
だから寝られないと言うに。

∵∴

「じゃ、言った通りやっておくのよ」
「はいはい」
「はいは一回」
独りの時間は久しぶりだ。
散々教育と言って私をこき使っていた紫は、今日は出かけて帰ってこない。「五月蝿い老骨どもに会わないといけなくってねえ」と言っていたが、何のことかわからなかった。わかる必要もない。
そんなわけで、家事はいつもよりはかどった。料理はしても片付けをせず、掃除をすれば何かを失くし、仕事を変われば散々邪魔をする。全く困った客だ。此処まで長く居座った客もいないが、慇懃無礼というか傍若無人というか、自分の家のように過ごす客もいなかった。あの妖怪の「ちょっと」とは、どの程度のことを指すのだろうか。もしかしたら、私は永遠と小間使いにされてしまうのでは……。不吉な予感だった。忘れるに限る。
一通りの家事をこなし、気がつけば月が南の空にいた。ここ数ヶ月、こんなにゆっくりできる時間は寝るとき以外にはなかった。いつもなら寝ているような時間であっても、紫は「すうがく」とやらを学べとうるさかった。母さんのように獲物を見極める法とかを教えてくれればいいのに。全くあの妖怪はわからない。
ここ数日の雪とはうって変わった快晴。人の肌を刺す空気の中、月は痛いほど冷たく空に在る。あまりにも静かすぎて、逆に怖くなる。あんな喧しさは本当に久しぶりだから、独りでいることが心細く思えてしまう。平気だったはずなのに、昔の弱い私に戻ってしまったようだ。こんなことだから、周りへの警戒が疎かになる。私が気を抜いたのは大妖怪の傍にいたからか、それとも温かさにまた触れたからか。今となってはわからない。
ふと、耳に何かが触れたように感じた。最初は地鳴りかと思った。地震が起こることは、それほど珍しくない。私が知っているだけでも何回かは大きな地震が起こっている。この家は、それも全て耐えてきた。だから、今も全く心配はしなかった。
しかし、地鳴りは止まらない。むしろ、それは強く近くなっているように感じる。山で季節ボケした妖怪が暴れているのだろうか。私は裏手に回り、台所から外を確かめることにする……が、深い森の中の此処からは良く見えない。何かが起きていることはわかるが、それが何かを知る術はない。紫のように飛べればわからないが、私はそんな真似はできないし教えてもらえなかった。そんな回想の間もどんどん近付くその音に、私は心が波立つのを感じる。

山が啼いている

この啼き声は何だったか。遠い昔に聞いたような、初めて聞くような。でも、逃げなくては。体の芯から、声が聞こえる。ここに居ては危ない、と。もちろん、これは只事ではない。どんどん近付いてくるこの音は、誰であっても危険だとわかる。下の里も、大騒ぎのはずだ。僅かながら、騒がしい声が耳に届く。
私も、急いで逃げるべきなのだろう。警鐘は激しさを増し、体の芯から震えが来る。それでも私の足は動かない。紫も誰もいないのに、私は縛られたように動かない。
『私たちは家と共に生きて死ぬのだ』
里の喧騒は、遠ざかっていく。人間どもは里を捨てて逃げ出しているようだ。正しい選択だ。この山に居る動物妖怪含めて、逃げもしないのは私だけだろう。
『お前も、私の子ならこの家と共に死ね』
私は、台所の格子窓を開ける。遮るものが無くなった音は、一気に近寄ったように感じた。そして目を凝らせば、遠くに白い雪煙。
もはや、逃げられない。
思い出した。あれはたしか「なだれ」とか言う代物だ。紫に叩き込まれた様々な知識が、私の頭の中で閃いた。こんな小さな頭にも、有効に使えるところがあったとは驚きだ。あいつの頑張りも無駄ではなかったのかもしれない。たった今、役に立ったのだから。
『あなたは飼い子なんかじゃないわ、元はもっと大きなもので、さらに大きくなるモノよ』
おだてられても、此処で動かない私にはもはや無意味。ここで消える私には何の救いにもならない。樹々がなぎ倒されていく音がする。それはまだ遠くのものであっても、すぐにここまで到達するだろう。大雑把な計算なら、あと一分と少し。もし今逃げ出しても、すぐに追いつかれる。それでも、頭に広がるのは絶望でも後悔でもない。もっと何か、穏やかな……紫だったら何と表現するのだろうか。最期に浮かぶ顔が、育ての親ではなく少し前に会ったばかりのどこの何とも知らぬ妖怪というのはどうなのだろう。
苦笑と共に、私は台所から居間へと移動し、囲炉裏の側に腰を下ろす。もはや、地鳴りなんて可愛いものじゃない。まるで山が落ちてくるような音。さて、これほどの規模となると人間どもも逃げ切れるかどうか。
振り返れば、樹を飲み込みながら押し寄せる白の津波が、窓のすぐ近くまで来ている。壁が吹き飛び、私の視界は真っ白から真っ黒に染め上げられて

私の命が、砕ける音を聞いた。





……生きている?
あんな、どうしようもないモノに巻き込まれて、何故私は太陽を拝んでいる? 身を起こせば、辺り一面が雪に覆われていた。所々からへし折られた樹が顔を出し、私自身も雪に半ば埋もれていた。道理で体が冷たいわけだ。
もしかしたら、ここが死後とかいうものだろうか。紫は彼岸とか冥界とか教えてくれたけど、ここがそうなのか? 立ち上がって、歩き回ってみることにする。……しかし、体のあちこちが痛い。そして頭に、何か虫がざわめいているような感じがする。やっぱり、無事というわけではないらしい。当たり前か。 さて、あいつが嘘をついてなければ、近くにやたら広い河があるはずだ。「あなたじゃ、渡りきれないわね」と言っていたけれど、どれほど広い河なのだろう。「うみ」とやらよりも広いのだろうか。
どのくらい歩いたのか。裸足ではいい加減、刺すような痛みが襲ってくる。雪もこの陽光で融けたのか、落とし穴のようになっているところもあり、身体はもうずぶ濡れだ。元々濡れることは好きではないが、今日は余計に身体が重くなったように感じる。頭の中の何かも、チリチリと音を立てる。砂塵や吹雪のように、頭の中が掻き回される。どうしたことだろう。もしかして、実はまだ死んでなくて、これから死ぬのか。
軽く眩暈を覚えながら、雪に埋もれた樹を越えていく。またしばらく行くと、開けた場所に出た。まるで、そこだけ均されたかのように滑らかで、
「あら、目が覚めたの?」
隙間に腰掛けた紫が、私に気付く。でも、私の目には、目前の紫は映らない。紫が背負う向こう側。それが、私の雑音だらけの意識を無理やり引き戻した。
白い空間に、異質な黒い塊。あまりにも歪なコントラスト。もはや原型などはなく、単なる塊に過ぎない。
「家が……」
完膚なきまでに、崩れた家がそこにあった。あれほど太かった柱も、ガサガサした屋根も、好きだった梁も、全部崩れた。もう、母上様の匂いもしない。家人の喧騒も二度と来ない。
不思議なことに、涙は出ない。ただぽっかりと穴が開いたような、空洞に取り残されたような気分。身体から力が抜けて、私は雪に腰を落とした。
それを見ていたのか、紫は私の横に腰を下ろす。暫くは、何も言わず同じ方向を見ていた。それからどれほど経ったのか、思い切ったように、紫は口を開く。
「短い間だったけど、いい家だったわ。ずっと暮らしていたいと思うほどに」
紫が来たのは去年の暮れ。まだ出会ってから、冬さえも明けていない。これまでの家人よりも、私よりも短い間しかいなかった者の言葉。あるいは世辞であっただろうそれは、嘘には聞こえなかった。空になった私には、どんなものでも容れることができるのかもしれない。
「なぁ紫」
「何?」
「私は、何で生きてるんだ?」
雪崩に巻き込まれて、一度は確か家に潰されて、その上に雪に放り出されていた。最初の一つでもう手遅れ、二つ目はダメ押し。三つ目はおまけみたいなもの。私は覚悟を決めていたし、実際に死んだと思った。
「それより、貴女頭の中がざわざわしたりしない?」
そういえば、いつの間にか頭の中がすっきりしている。ざらついた感じもなく、それでいて頭の中を整然と何かが走っていく。違和感はあっても、それはどんどん薄れていく。
「ちょっと飛んでみなさい」
「は?」
「浮くとか思い込めばいいのよ。さっさとしなさい」
意味がわからない。第一、紫だって飛び方教えてくれてないじゃないか。でも、紫がふざけているようには見えない。何故か、逆らい難い。前みたいに怖いから、ではなく逆らってはいけないと奥底で感じる。
(浮くって言ってもなぁ……)
が、自分にできないことをやれると思い込むことはそうそうできず、私は駄目元で跳んでみた。私が思い描いたのは、跳んだ頂点で停止する空想。そして、その空想が現実になるとは思わなんだ。
「……あれ?」
「よし、ちゃんと式は定着したみたいね」
「何だ、それ」
「さっきの答えだけど、確かに貴女は死んでいたわ」
紫が言うには、私は身体自体にそれほど傷はなかったらしい。打撲、凍傷はあったものの気にすることはない程度。死んだと思ったから死んだ、ということだった。精神が死んで、それに身体が引きずられて死んだ。よくわからない。どっちにしろ、私は死んだということか。
「だから、私が式を打って応急処置をしたわけ」
「この場合は、ありがとうで合っているのか? 私はまだ式が何かも知らんし」
「簡単に言えばそうね」
紫は、今日の天気でも話すかのように気軽に
「貴女の命は、もう私のものよ」
とんでもないことを言った。
いやいやいや。なんだそれは。命の恩人になったから、私を前々から言っていたとおり家来にするということか。……まぁ、恩義なら多少付き合ってやらんこともないが。
「違うわ、私ともはや一蓮托生よ。私が生きれば貴女も生き、私が死ねば貴女も死ぬ。貴女は飼い子でも妖怪でも、生きた獣ですらない」
ただの式神よ。と紫は言った。文句はある。多々あるはずなのに、その言葉はするりと頭に馴染んでいく。私は従者で、紫が主。当然のように頭はそれを受け入れ、故に私は混乱した。
「もう、式は外れないのか?」
「外してもいいけど、その代わり貴女は死ぬわ。だって式を憑けたから生きながらえたのだもの」
私はため息を一つ吐いて、努めて冷静になろうとした。どうやら、事後承諾しかないようだ。しかし、未来永劫こいつの従者か……。いろいろと、納得できないことばかりだ。
そうだ、もやもやした気持ちを一気に解決する方法を考え付いた。起き上がり、服に残った雪を払う。多少湿っているが、このくらいすぐ乾くだろう。
「それは済んだ話として、だ」
「物分りが良くて助かるわ」
「ただな、踏ん切りをつけるためにやりたいことが一つある。すぐ済むけど、付き合ってくれるか?」
「その程度、お安い御用よ」
「ありがたい、な!」
振り返りざま、雪を蹴り飛ばす。紫がそれを傘で払うのが見えた。気にせず、雪煙に突っ込んで爪を突き立てる。傘の布を裂き、骨を叩き折り、逆の手を紫に向けて何の加減もなく振るう。紫は軽く上体を反らして、爪は空を裂いた。紫はわかっていたとでも言うように、あのイラつく笑みを浮かべる。私は爪を止めない。ソレは紫の服を、周囲の折れた木の皮を、あるいは積もった雪を砕き飛ばした。それでも、紫自身に当たることはない。
そういえば、式打った奴を殺したらどうなるんだろう。私も死ぬのかも知れない。まぁ、それならそれでもいいか。暴れながら考える。分かっている、この大暴れに意味はない。ただの紫に対する八つ当たりで、大泣きの代わりにしたかっただけだ。動き続けるほど、心の靄が晴れていく。今は何も考えず、動き続けていたかった。

ひらり舞う蝶を追う、荒ぶる獣の断末魔。

そうして、太陽が南を上りきった頃。私は家だったものに腰掛けていた。紫はその横で、ボロボロになった傘をさしている。捨てればいいのに、頑なに捨てようとしない。何か思い入れでもあるのだろうか。私には知る由もない。かく言う私は、そんなボロボロの紫の身体に傷一つ付けることができなかった。単に疲れただけ。全くの無駄だった。
「貴女、これからどうするの?」
「……わからん」
「よければ、一緒に来る? いい家を爺から巻き上げたのよ」
「……それも、いいかもな」
「え?」
振り返ってみれば、紫は馬鹿の顔をしていた。ああそうだ、なんとかが豆を食らったとかだ。しかし、そんなに驚くこと?
「いや、だって、そんなあっさりと」
「住むとこ無くなったからな。それに食料も全部おしゃかだ。せめて面倒みた恩義くらいは返してもらう」
「うぐ……もう私の式なのに……道具なのに……」
紫は何か呟いているが、聞こえないことにした。暴れてすっきりとはしたものの、紫の従者というのはなんというか、まだ納得がいかない。まぁ、しばらく付いて歩いて駄目だと思えば出奔でもすればいいか。
「じゃあ、行きましょうか」
「何処へ?」
「新しいお家を探して、東の果てまでよ……でもその前に、貴女に名前をあげましょう。世界でたった一つの、貴女の名前を」

∴∵

「紫さまー起きてくださいよー」
つい、懐かしい夢を見た。もはや暦の上では冬であるのに、気まぐれに訪れた小春日和の陽気のせいね。ついうとうとしてしまった。
「ねー紫さまー」
気付けば、孫のような式が膝に乗っていた。最近はバグとか不具合のせいで、放蕩気味だったのが何の迷いか帰ってきた。バグの発生なんて、まだまだ藍も詰めが甘い。あの日から何年経ったのか、私には数える気が毛頭なかったけど、一度のバグも起きていない。さすが私。……もしかして、どこかで式の式にバグを起こす式でも組んだかしら。
「紫さまってばー」
「もう、考え事中に喧しいわね」
私は橙を膝に乗せ、頭を撫でた。身体の大きさがとても収まりがよくて、何故か落ち着く。もしかして、あの子このために式にしたんじゃないでしょうね。
「紫さまー藍さまはー?」
「今日はちょっとお使いよ。一週間くらいかかるわね」
その頃まで、起きていられるといいのだけれど。今でこそ安心して任せられるけど、昔は冬眠なんてできるようなものじゃなかった。時々寝首をかこうとするし、放っておけばどこに行くかわからない危うい子だったから。最初のうちは、心配で眠れたもんじゃなかったわ。
でも、もう一週間くらいで帰ってくるくらい使える式になったのね、あの子も。昔はお使いに出したら、数年経って戻ってきたなんて事もあったわね。戻ってきたら尻尾が一本増えて、力が大割り増ししていたとか。あの子は、懐かない割には褒めてあげると可愛い反応をするから面白い。九尾になって、八雲姓と帽子をあげた時は珍しく大泣きしちゃって。
「ねえ紫さま」
「なぁに?」
「藍さまが小さかった頃って、どんなだったんですか?」
「そうねぇ、あの子はすごくお転婆で……」

未だ山は、燃えるような葉の中に緑を残している。幻想郷ではすでに葉が枯れる冬の入りなのに、やはり外は似ているようで全く違うようだ。もはや、あの雪崩の傷痕など一つを除いて微塵も残されていない。外はまるで、時間が早く流れているようにも感じる。
「しかし、ここは変わらないな」
何十年、何百年に一度だけ、紫様はスキマをここに開いて下さる。冬眠前の紫様用の人間と、私たちの冬の食料を確保する必要があるから、あまり長居はできない。なんというか、自分で自分の墓参りというのも変な気分だ。粗末な墓石代わりの石があるだけで、私の墓なのか家の墓なのかわからない。
「紫様も、なんで朽ちるだけの家に結界を張ったんだか……」
さほど強力なものではない、人払いの結界。特に攻撃的に排除にかかるような仕掛けはない。私でも片手間に作れるような結界だ。多感でない動物にも効果はないし、ここに近付いてはいけないという何かを想起させる程度のものだろう。
「あの人もわからない妖怪だ」
たまたま見つけた獣の棲家を、ここまで大事に包んでおくなんて、人間だってやらない。だからこそあの方は、大妖怪にまで上り詰めたのかもしれない。世界で一番の気まぐれ。
ちちっ
「ん?」
鳴き声がした。私はかがみ込んで、屋根に開いた穴を覗き込む。丁度、私が良く乗っていた梁の近く。そこには家があった。卵もなく、雛も居るわけでもないが、そこには一匹の鳥が居た。屋根の穴から入る日光を浴びて、毛を膨らませながら眠りこけている。私は鳥に詳しくはないから、どんな鳥かはわからない。でも、この家がまだ。
「そうか、まだこの家は死んだわけじゃないのだな」
だからなんだ、というわけではない。もう私はこの家に憑いておらず、紫様の式神だ。だから、この家のことを気にかける必要は微塵もない。それでも、この家がまだ誰かを迎えているということに、私はとても――
嬉しいと、思ったんだ。
他人の寝床をいつまでも眺めているほど、私も無作法じゃないつもりだ。もしかして紫様は、ここまで考えて結界を紡いだのだろうか? ……そこまで予想はさすがにつかないか。でもあの人は、分からない人だからなぁ。
「そうだ、そろそろ行かないと」
私は、墓石の横にかがんで懐から小さな種を取り出した。橙が、どこからか拾ってきて私にくれたものだ。ほとんどは橙と一緒にマヨヒガの庭に埋めて、これはその残り。墓石の横の地面に、無造作に埋める。ここは人の手がほとんど入っていない、滋養に富んだ地。放っておいても、春には綺麗な花を咲かせるだろう。手向けというわけじゃない。まぁ、新しい住人の祝いということにしよう。
「じゃあ末永く、お幸せに」
私は名も知れない住人と、私の旧家に背を向けた。また暫く後に、私はここを訪れるだろう。その時に此処が如何に変わっていようとも、それは仕方がないことだ。もう私は、此処を守る名のない狐じゃない。私は八雲紫の式神だ。だから、ただ願う。
せめてこの家に住む者に、幸が訪れることを。



I'm home again!

2010.06.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | SS

コメント

コメントの投稿


秘密にする

«  | HOME |  »

プロフィール

小宵 / M-zane

Author:小宵 / M-zane
怠惰臭溢れる死に体

Flashカレンダー

phoenix

DARTS LIVE

検索フォーム

QRコード

QRコード


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。